水戸光圀公ゆかりの山寺

Syourinzan-Daruma-Ji

延宝年間、現観音堂に達磨像(一了居士が彫った)安置された事で近隣に達磨出現の霊地”「少林山」と呼ばれていました。その頃の領主・酒井雅楽頭忠挙公さかいうたのかみただたかが当地視察の際、厩橋城(前橋城)の裏鬼門を護る寺として、水戸光圀公が帰依された中国僧・東皐心越禅師とうこうしんえつを開山と仰ぎ、弟子の天湫てんしゅう和尚を水戸から請じて、元禄十年(1697)少林山達磨寺(当時:曹洞宗寿昌派)として開創しました。