兵ども達の夢の後・箕輪城

Minowa-Jyou

城は戦国時代初期に関東管領山内上杉氏の重臣長野氏によって築かれ、その後武田氏、織田氏、後北条氏、徳川氏の城となりました。1590年(天正18年)徳川家康の関東入りに伴い徳川四天王の筆頭、井伊直正が城主になり城を近世城郭に改築しましたが、その後8年で直正は高崎城を築いて居城を移し、箕輪城は廃城となりました。現存する遺構は直正の城主時代に造られたものが少なくなく、大手の移設や主郭部分の石垣の多くは直正城主時代の遺構と言われます。2014年(平成26)から伝統的工法で復元を進めていた井伊氏時代(16世紀末)の郭馬出西虎口門が2016年(平成28)11月に完成し公開されています。    高崎市観光協会より引用

左の家紋は長野氏の「檜扇」(ひおうぎ) 

日本百名城箕輪城御城印